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Yokoの想い

大学時代のバイトが、私に教えてくれたこと:無駄な経験なんて1つもない

こんにちは、YOKO BAKESの容子です。神奈川県藤沢市、江の島近くの「片瀬」という街で、身体にも、自然にも優しい、国産米粉のケーキ屋さんを営んでいます。看板商品のキャロットケーキに加え、ブラウニーやチーズケーキ、季節のタルト、クッキー缶など、全てグルテンフリー&白砂糖不使用のケーキをお届けしています。

キャロットケーキ
米粉のキャロットケーキ

吉祥寺のキャロットケーキマルシェに出店!

そんなYOKO BAKES、先日11月17日、吉祥寺で開催された「キャロットケーキマルシェ」に参加してきました!11時スタートだったのですが、その前からお並びくださった方々、そして長い間お待ちいただいた皆さま、ありがとうございました!そして、夏の代官山マルシェでゲットした当店のオリジナルバッグを持ってきて下さった方もいらっしゃって、とっても嬉しかったです♪

吉祥寺マルシェの様子♪

実は、吉祥寺は私が大学生のころ、バイトしていた場所。そんな昔のバイト先に、マルシェの後立ち寄ったのですが、その時感じたことを、今日は皆さまにお伝えしようと思います。ぐっと冷え込むこの時期、温かくして、お気に入りのホットドリンクを淹れて、ぼ~っとしながらお読みいただければと思います♪

大学時代、唯一続いたバイト先で得たものとは

わたくしヨーコ、地元奈良の高校を卒業した後は、「国際基督教大学」という、三鷹にある大学に通っていたのですが、初めての一人暮らしで、最初は色んなバイトを経験しました。建て売り物件の前で一日座ってる不動産屋のバイト(←途中寝たりした)、幕張とかのイベントに派遣されるバイト(←未成年なのにワイン売ってた)、家庭教師(←後で出されるおやつが楽しみだった)、塾講師(←英語教えるの下手くそと言われた)、などなど、それはそれは、何でもやってみてました。歯医者さんの助手は、時給が少し高くて応募したけど(←とは言え当時の時給は、高くて850円とか?)、何が悪かったのか、一日目で解雇されました(←未だに何をやらかしたのか分からない)。

どれもこれも長く続かなかったのですが、大学2年生の時だったかに友達の紹介で始めた「ソーセージ屋さん」のバイトは、ずっと続いて、そして途中で1年間デンマークに留学に行った後も、「またやりたい」と言って、空きがないのに、入れさせてもらいました。留学前は小金井にある本店で、留学後は、本店の空きがなかったので、吉祥寺店で、トータルどれくらい働いたのか分からないですが、とにかく美味しくて楽しかったことしか、覚えてないです。今思うと、もしかしたら私はここで、「本気でいいものを作る」という作り手の姿勢を、そしてお店の在り方というものを、学んだのかも知れません。

ソーセージ屋さんは、「ケーニッヒ」という名前で、オーナーさん夫婦と、製造の方、そしてパートのスタッフでやっていたのですが、とにかくそこの方にはとても良くしてもらいました。私は何でもやってみたがるタイプなので、一度、「ソーセージを作る仕事もやってみたい」と言ってやらせてもらったことがあるのですが、力仕事にすぐ音を上げて販売に戻った時は、「容子、やってみて分かったから良かったんじゃねぇか」って言ってくれて、今から考えたら、その間も時給を貰っていた訳だから、ほんとにどうしようもない私に、よくあれだけ温かい言葉をかけてくれたなぁと、自分が経営者になって分かる懐の深さみたいなのもあって、今こうして書きながら涙が出そうなほどです。私だったら、「そんなにすぐ諦めるんだったら、最初からやるな!」とか怒ってると思います。

衝撃的な出会い:私のお菓子作りの原点

実は私のお菓子作りは、本格的にはここから始まったと言っても過言ではないほどです。お菓子作りは前から好きだったのですが、そのことをオーナーさんに言うと、「容子、お菓子作るなら、この人の本がいいよ。お店にも行くといい」と言って紹介してもらったのが、今でもお店にボロボロの状態である、「弓田亨さん」の本。多分今は廃盤になっているんじゃないかと思われるのですが、弓田さんのお店は代官山にあって、今はお教室がメインで、ケーキの販売は週1土曜日のみみたいです。

早速この本を手に入れて、ページをめくったのが、衝撃の始まりでした。もうね、衝撃。それ以外に表す言葉がないくらい、私はその本の世界にのめり込んで行きました。弓田さんのお菓子作りの理論。弓田さんの熱意。弓田さんのお菓子に対する姿勢や、想い。もはや、レシピ本ではないんですよ。哲学書です、哲学書。ハイライトでたくさん線を引いて、何度もめくったページは、破けそうなくらいボロボロですが、イギリスにも持って行ったし、日本にも来たし、いつも肩身話さず持っていて、最期は私の棺おけに入れて欲しいくらい、私の大切な原点です。

代官山のお店にも通って、ビンボー大学生なりに、ケーキを少しずつ買ってみては食べ、弓田さんがオススメしている食材や道具も買ってみて、ひとり暮らしの小さい電子レンジオーブンで、一つずつお菓子を作ってみては、ソーセージ屋さんに持って行って皆に食べてもらう。そんなことを繰り返していました。あ、もちろん、学業(言語学)も飲み会も、ちゃあんと並行してやってましたよ!

時と場所を越えて、繋がるご縁

そんなこんなで、大学3年生のときにデンマークに留学して、主人と出会い、帰国して卒業後はイギリスに行くと決めたとき、ソーセージ屋さんのオーナーが、「容子、ロンドン行くなら、この人に色々教えてもらうといい」と言って紹介してくださった方が、「ここのお寿司屋さんでバイトするといいよ。賄い美味しいから」とロンドンのとあるお寿司屋さんを紹介してくれて、私はその近くでフラット(めちゃ小さいアパート)を借り、そのお店で3年間バイトしました。そこの親方と女将さんにも本当に良くしてもらったのですが(その話はまた今度)、ソーセージ屋さんの紹介がなかったら、きっとこのご縁もなかったと思います。

ロンドンに行った後も、私はソーセージ屋さんとたまに連絡をとっていたのですが、その後、結婚したり、子どもが生まれたり、イギリス国内で引っ越ししたりして、10年余りたち、日本に来て、しばらく連絡が途絶えていたのですが、「ケーニッヒに行きたいなぁ。みんなどうしてるかな。」と思いながらお店の運営にもまれていた2年目の夏、ひょいと、オーナーの奥さんが、お店に来て下さったんです

夏の間は夕方営業で明かりが綺麗

びっくりしたと同時に、「容子ちゃん、久しぶり!今日来れて良かった~」って言いながら、年月を感じないほど、大学生のときみたいにお話をして、たくさんケーキを買ってくれて、「ケーニッヒの皆に食べてもらうね」と言ってお店を出て行かれたときは、嬉しかったと同時に、「え!みんな食べるの?美味しくなかったらどうしよう」と、とても心配になってしまいました。

でも、ケーニッヒにずっといる製造の方や、オーナーが、「容子、美味しいぞ!容子の想いが詰まってるよ!」とメッセージを送ってくれたときは、ほんとに嬉しかったし、「あ、ちゃんと売っていいものを作ってるんだな」って、ほっとしました。

21年ぶりの、「おかえり」

それから、オーナーの奥さんがほんとによくYOKO BAKESのケーキを買ってくださっては、ケーニッヒのみんなで食べて下さっていて、その度にみんなからメッセージが届いて、応援してくださっています。そんな私の原点でもあるお店に、吉祥寺のマルシェの後、行って来たのですが、私が大学生の時に一緒に働いていたパートの方もいらっしゃって、お店に入ったときのソーセージのいい匂いや、商品や、週末だけ出るスペアリブとか、もうほんとに懐かしくて嬉しくて。何より、21年ぶりに本店に電話したのに、声だけで「おお、容子か!」ってなることに、何だか笑えてしまいました。

私がバイトしてたのが、19歳か20歳の時。今41歳だから、もう21年ぶりということになります。21年!小学校6年間を3回やって、そこに中学校3年間を追加した月日、と考えると、結構長い。

その日は吉祥寺という街全体がすごく混んでいたので、私は小金井の本店に行ったのですが、夕方、子供たちも鎌倉の家で待っているし、吉祥寺店にいたオーナーの奥さんには会えずに泣く泣く家路についたのですが、帰りの車の中から、本店でみんなと撮った写真を送ると、「よく帰ってきてくれたね。おかえり!」ってメッセージが来て、泣きそうになりました。

21年という月日が経っても、「容子、頑張ってるな」って言って応援してくれて、私のケーキを美味しいって言ってくれて、それで、21年経ってお店に行っても、「おかえり」って言ってくれる、こんな温かい人たちに私は恵まれていて、そして、大切にしてくれる人たちがいて、本当に幸せだな、と思うと感無量でした。

ケーキを通して、私たちが届けたいものとは

そして、私のお店も、来たらほっとして、ちょっと懐かしくて、気持ちいお布団みたいにぬくぬく温かいような、そんなお店にしたいなって、思いました。「おかえりなさい」って、みんなに言えるような、そんなお店にしたい。ここに来たら、安心していいよ。ここに来たら、どんなあなたでもいいよ。応援してるよ。甘いケーキを食べて、美味しい紅茶を飲んで、リセットしてね。そんな気持ちで、私はみんなを迎え入れたいな。そう思ってます。(「容れる」と書いて「容子」です)

先日、私の大切な人がお店に来て下さったのですが、キャロットケーキをカフェで召し上がった彼が、

「キャロットケーキを食べて、あ~これこれ、この味。何だか懐かしい気持ちになりました」

ってメッセージを送って下さったんですが、それを聞いて、私がとっても嬉しかったのは言うまでもありません。お店を始めて3年半、悩むことも、模索することもあります。でもそんなとき、こんな心温まる経験を通しては、お店の原点に戻る、ということを、私は何度も重ねてここまでやってきました。

キャロットケーキという、どちらかと言えば日本では新しいジャンルのケーキを食べて、なぜ懐かしい感じがするのか?については、また後日語らせていただきますが(←ちゃんと理由があるんです)、私たちのお店に来て、「ほっとする」「懐かしい」気持ちになっていただけることは、私たちにとって何よりもの喜びです。

なぜなら、それが、ケーキを通して、私たちが一番お届けしたいものだから。

私も、「おかえり」が言えるお店でありたいな。

そんな想いで、私たちはケーキを焼いています。そして、それが、私たちが何よりも大切にしたいことなんだということに、気づかせてくれた数々の経験や、出会って来た人たちに、心より感謝して。

最後に、頑張るあなたへ、ヨーコからメッセージ

大学生のころ、「普通に進学せずに、製菓学校に行けば良かったな」って、何度も後悔したことがありました。中央線から見える製菓学校を通り過ぎるたび、ちょっと胸が痛んだり。でも、そんな時にバイトしていた吉祥寺のパルコの屋上で、21年後、自分がマルシェに出店して、自分で作ったケーキを、スタッフと一緒に売ることになって、大学時代の友達がケーキを買いに来てくれたりするだなんて、当時は夢にも思っていなかったです。つまりは、人生何がどう繋がって、どうなるかは、全く予想がつかないということ。

どんな経験でも、どんな出来事でも、無駄になることなんて、絶対にないです。10年、20年、もしくは30年経って、「あ、あの時の経験は、こういうことを教えてくれたんだ」って、時が経って初めて分かることがたくさんあると、40を超えた私は最近知りました。だから、あなたがもし大学生なら、思いっきり沢山、色んなバイトしてみればいい!大学生でなくても、何かに迷っていたら、たくさん悩んで、たくさん模索して、た~っくさん失敗して、自分なりの答えを見つければいい誰かの正解じゃなくて、自分だけの正解を、見つけて下さい。そんなあなたを、YOKO BAKESは全力で応援しています!

これは4年くらい前の写真だよ!

これを読んで下さったあなたへ。私からの溢れんばかりの愛を込めて。
容子より。
2024年11月19日

この記事の著者

Yoko Wspanialy

1983年2月生まれ。奈良県出身、大学で上京。大学院からロンドンへ渡り、言語聴覚士となる。留学先のデンマークで出会ったポーランド人と結婚し、現地の病院にて7年勤務。イギリスで娘と息子を出産し、産休中に上司に頼まれてウェディングケーキを作ったのをきっかけに、ケーキ作りを仕事にしたいと願うようになる。BBCのブリティッシュベイクオフに応募し、最終選考まで残る。2016年末に日本へ引っ越し、現在鎌倉に在住。小麦アレルギーの診断を経て米粉に転換し、2021年に3月に実店舗をオープン。その開業記録や、ケーキをビジネスとして続けることのあれこれを書いています。

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