店主の自己紹介:略歴&性格、起業した理由
こんにちは、YOKO BAKESの店主、容子と申します。神奈川県藤沢市の、「片瀬」という江の島に近い場所に、2021年3月にケーキ屋さんをオープンしました。自身の小麦アレルギーをきっかけに、全て日本の有機米粉で焼いています。看板商品は何と言ってもキャロットケーキとブラウニー。長く住んだイギリスの思い出が詰まったケーキたちが並びます。この記事では、そんなYOKO BAKESの店主の略歴と性格をご紹介します。「このお店の店主って、どんな人?」という疑問に対するイメージをお掴みいただければと思います。店主Yokoの履歴書と職務経歴書の様な感じで読み進めて頂ければ幸いです。
奈良時代:幼少期~高校まで
生い立ち
- 奈良県生駒市に生まれる(1983年2月)
- 小学校~高校は地元の公立学校に通う
- 幼少期から手先が器用で何でも作るのが好きだった
- 特にお菓子作りは、中学生・高校生の頃には「テスト勉強を頑張ったご褒美にお菓子を作る」ことが楽しみとなる位没頭するようになる
- 小学校は「手芸部」、中学校は「美術部」
高校時代
- 高校2年生の時にアメリカ・アリゾナ州に1年間の交換留学
- これをきっかけに、自分の人生を過ごす場所を世界を視野に入れて考えるようになる
- 留学前は「帰宅部」、留学後は「ソフトボール部」
東京時代:大きな出会いの連続
独り暮らしの大学時代
- 高校卒業後、大学で東京に上京、独り暮らしを始める
- 国際基督教大学、言語学専攻
- バイト先のオーナーに「弓田亨氏」の本を紹介してもらい、衝撃を受ける
- 学業の傍らお菓子作りに没頭する
デンマーク留学
- 大学在学中、デンマーク第2の都市「オーフス」に交換留学
- 現地の寮で今の主人(ポーランド人)と出会う
- 1年後日本に帰国し、卒論を経て卒業
ロンドン時代:言語聴覚士とお菓子作り
大学院、結婚、バイト
- 大学卒業後、渡英(2006年)
- 今の主人と暮らし始める
- ロンドンの大学院で言語聴覚士を専攻
- 主人とイギリスの港町”Brighton”で結婚(2008年)
- 大学院を卒業し、言語聴覚士の資格を取得
- 主人がリストラにあったので、就職活動の傍らロンドンのカフェ「GAIL’s」で働く(今のYOKO BAKESのレシピの基盤となる)
言語聴覚士になり、ケーキ作りは「趣味」から「ビジネス」へ
- ロンドン北部の病院”Northwick Park Hospital”で言語聴覚士として働き始める(2010年)
- セラピストとして働く中、ケーキ作りを介したリハビリが出来ないかを考えるようになる
- 3.11の東北地震のニュースを受けて、勤務先の病院で募金活動を企画・実行し、売り上げ総額を日本赤十字へ寄付したことから、ケーキが誰かの役に立つことを初めて経験する
- 29歳で第一子(娘)を出産(2012年)
- 産休中に、上司から「ウェディングケーキを焼いて欲しい」と頼まれ、初挑戦する。大成功を収め、ケーキをビジネスとして考えるようになる
- ブリティッシュ・ベイクオフ”The Great British Bake Off”に出願。4万人の応募者の中から、50人の最終オーディションまで残るが、テレビ出演には至らず。(2014年)
イギリス田舎時代:YOKO BAKES誕生
世界遺産の街”Bath”へ
- 第二子妊娠のタイミングで、家賃の高いロンドンを離れてイギリス南西部・世界遺産の街”Bath”へ引っ越す
- 32歳で第二子(息子)を出産(2015年)
- ケーキをビジネスとして始めると決めたものの、大家さんに断られる
- そんな中主人が2度目のリストラに合う
- 家族を支えるため、半ば嫌々、言語聴覚士として再び働き始める
田舎町”Frome”へ
- Bathでは高い家賃が払えず、田舎町”Frome”に引っ越す(2016年)
- 翌月4月から、”The Frome Independent”と呼ばれる日曜日のマルシェに月一で出店することを決め、副業ではあるが、「YOKO BAKES」として公けに活動を始めた瞬間である(2016年4月)
- 国民投票でEU離脱が決まる(2016年5月)
- 同時に、無職だった主人が偶然日本で仕事を見つけ、内定をもらう
日本時代:専業主婦を経て起業
初めての専業主婦
- 家族で長く住んだイギリスを離れ、日本は古都鎌倉へ引っ越す(2016年)
- イギリスでの言語聴覚士の資格を破棄し、初めて専業主婦となる
- お菓子作りは一旦諦める
- 子どもと山を歩くサークル「お山の会」へ入り、自然に救われる(2018年)
- オーブンを買い、再びケーキ・パンを焼き始め、友達にも頼まれるようになる
- 面白法人カヤック、発達支援ADDSなどでパートタイムで働く
夢が具体化し始める
- 息子が幼稚園に入園したと同時に、パン屋「ビゴ」で働かせて貰いたいと出願しパートタイムを始める
- しかし体調が悪くなり、小麦アレルギーと診断される
- 再びケーキ・パン作りを諦める
- 諦めきれず、少量の粉を使うケーキのみ再開する
- 海洋プラスチック問題や自然との共生に興味を持つようになり、プラ包装を使わないことを決意する
- 再利用のクッキー缶を利用してマカロンなどを詰めた「バレンタインギフトボックス」を単独で企画し、インスタに投稿したところ、「カマクラコワーキングハウス」の目に留まり、出会うきっかけとなる(2020年2月)
- 同時にコロナが流行り始める
起業へ向けて動き出す
- 「カマクラコワーキングハウス」のリニューアルオープンにスイーツを提供する
- &ONのオーナーと出会う
- 現在の&ONにてスイーツのテイクアウト販売を始める(2020年4月)
- 自分のお店を持ちたいと思うようになる
- 起業支援拠点「HATSU」に参加
- コロナ渦で小麦粉が不足している中、嫌々米粉でシフォンケーキを焼いてみたところ、意外と上手く焼けたのをきっかけに、米粉で作れるものを試作するようになる
- 店舗探しを始め、現在の店舗と出会い、事業計画、資金調達へと進む(2020年8月)
- 改装工事、着工(2021年2月)
- 2021年3月31日にYOKO BAKESの店舗をオープンする
自覚しているアイデンティティ、強みと性格
生まれも育ちも奈良ですが海外生活が長かったからか、自覚しているアイデンティティとしては「イギリス人・日本人・ヨーロッパ人のMIX」だと思っています。とは言え日本生活も大分長くなってきたので、日本人の割合が少しずつ増えてきている気がする今日この頃です。自分がいる環境に影響を受けやすいのは、私の特徴の一つです。
生まれながらにして併せ持った器用さは全て手先に注がれたため、心と身体は不器用そのものです。運動神経ゼロ、バランス感覚ゼロ、音感ゼロ、マルチタスキング無理、感情は全て100%で感じるので浮き沈みが激しい。決断力と行動力は人一倍あり、「これだ」と決めたらすぐ走り出しますが(いのしし年です)、すぐに怖気づいて「ダメダメ、出来ない、無理無理」となります。ただ粘り強さと挑戦心・冒険心が強いので、弱気になりながらもやり続け、失敗を繰り返し、気付いたら出来るようになっている、というパターンが多いです。これに関しては、もう少し違うやり方で楽に人生を進めて行けたらいいなと思っているので、40歳を過ぎた今、自分と向き合いつつ、色々と模索しています。
趣味のお菓子作りをビジネスにした理由
誰かの役に立ちたい
小さい頃からお菓子作りが好きでしたが、それに気づいた、というか向き合えるようになったのはごく最近のこと。中学、高校、大学とストレートに進学して、大学院からイギリスへ。そこで言語聴覚士という資格をとり、通算7年ほどイギリスの病院に勤めました。お菓子作りは趣味でやるもの、として捉え、それを仕事にするとは、全く考えていませんでした。むしろ、ガチガチの左脳派の仕事のバランスを取るような感覚で、右脳派のお菓子作りを趣味で続ける、そんな感じでした。でも、それにも関わらずお菓子作りをビジネスにしようと決めたのには、私の中で、「誰かの役に立つ仕事がしたかった」ことが第一にあり、そして「ケーキは誰かを救う力がある」という体験をしたことにあると思います。
人の役に立つ仕事をしたい、というのは言語聴覚士になったのと同じ理由ですが、セラピストとして働く中、働き盛りの若い方が、脳障害の後遺症の為に仕事に復帰できない事例をいくつも見てきました。そして、「サポート体制のあるカフェを作って、彼らに仕事の場を提供できたらいいのに」と思ったのが、最初のきっかけです。とは言えお菓子作りをまだまだ趣味としか考えていなかった時期だったので、すぐに行動に移すことはなく、病院での仕事をこなすのに精いっぱいな日々が続きました。
ケーキの力ってすごい!
そんな中、「ケーキって、すごい力があるのかも」と思わせてくれた経験が、2011年、3.11東北地震の後に企画した募金活動です。BBCから流れるニュースや映像を見て居ても立っても居られない状態だった私と日本人の友達数名で、”CAKE SALE – Tsunami Fundraising-“を立ち上げ、出来るだけ多くの人にケーキを焼いてもらい、それを売り、売上金を日本の赤十字に送金する、というものでした。当時働いていた病院で企画したのですが、とにかく知ってる人全員に「津波の募金活動をするから、ケーキを焼いて持ってきて!」と声をかけると、それは本当に、長いテーブル4台にも乗り切らないくらいのケーキが集まったのです。それを、1個1ポンドとか2ポンドくらいで売ったら、あっという間に完売。「みんな、ケーキが大好きなんだ」というのを、肌で体感した経験でした。そしてそれが、誰かの役に立つということに、ケーキの持つパワーみたいなのを感じた気がします。
ケーキは人を幸せにする
それでも、すぐにケーキをビジネスにしようとは思わなかったのですが、娘を出産した後の産休中に、上司のキャサリンが「結婚するからウェディングケーキを焼いて欲しい」と言うので、チャレンジすることにしました。何より彼女は私のことを良く見てくれていて、私も育児に追われていたので、「何かしたい」と言う気持ちがありました。ケーキを3段に重ねるなんて初めてだし、新郎新婦のリクエストは焼いたこともない「フルーツケーキ」だったので、試作に試作を重ね、デザインを考え、YouTubeを見まくり、本を買い漁り、場所見知りと人見知りが激しく私を離れようとしない娘を友人に預かってもらっての大プロジェクトでした。
自分が参列する結婚式に、子連れで出席し、しかもそのウェディングケーキを納めるというのは、結構な大仕事だと後々気付いたのですが、ケーキを見た時のキャサリンの顔や、そこにいた方たちがみな口をそろえて、「Yokoのケーキ、すごく綺麗だし、美味しい!」と言ってくれたのが、本当に嬉しかったです。新郎新婦の結婚を祝福する人たちが、ケーキを取り囲んで楽しそうに食べたりお喋りしたり、結婚式の中でケーキがそんなシーンを作っているのを見て、「ケーキって、人を幸せにする力もあるんだ」というのを、経験した気がします。そして、その時初めて、「ケーキをビジネスにする方法」的な本を読んだこと、そしてそれについて具体的に考え始めたことを、今でも覚えています。
いつも帰ってくるYOKO BAKESの「原点」
その後、第二子を出産したり、イギリス国内で何度か引っ越したりして、本当に色々なことがあったのですが(その話はまた今度)、2016年に日本へ引っ越し、現在は神奈川県鎌倉市に在住しています。日本へ来てからは1度か2度、お菓子作りを諦めたこともあったのですが、私が「お菓子を焼いて誰かの役に立ちたい」という腹の底から出てくるような欲望は、きっと、どう自分を騙しても拭えなかったのだと思います。小麦アレルギーの発覚や、日本の保健所の規制が厳しい、など逆風ばかりが吹く中、自分に嘘をついて、「お菓子作りはもうやめよう、仕事にはできない」と言い聞かせても、結局私の行きつくところは「お菓子を焼くこと」でした。
YOKO BAKESをオープンして3年、お店を経営する中で「なぜお店をやるのか」という問いを、いつも自分に投げかけています。そして、その答えは、私の中にずっとずっと前からあるもの、「ケーキを通して誰かの役に立ちたい」、たったそんなシンプルな1つの答えに、いつも辿り着いています。迷ったり悩んだり、試行錯誤を繰り返してのお店の経営ですが、いつもこの気持ち、この原点を、忘れずにいたい、そう思っています。YOKO BAKESのケーキが、皆さまの何かのお役に立てたなら、私たちにとってこれ以上嬉しいことはありません。
略歴と呼べるのか分からないくらい長くなってしまいましたが、ここまでお読み下さり、ありがとうございます。イギリス国内での引っ越しを経てFromeでマルシェの出店を始めたこと、日本での逆境からの立ち直りなど、また別の記事で綴っていきたいと思っております。ぜひ、楽しみにしていて下さいね。
それでは、今回はこの辺で。私から皆さまへ、たくさんの愛を込めて。
2024年4月 店主Yokoより
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